神武天皇の時代を決める基準
日本の古代史の年代推定として、神武天皇の時代が分かれば、いろいろな年代を推定する有力な手がかりとなります。
そこで、神武天皇の時代を推測するために使える情報を挙げれば以下のようになるのではないかと思います。
1)「入墨」の習慣が衰えつつあった時代である。
(記紀に出てくる入墨に関する記述から)
記紀の記述からすると、神武天皇の時代は入墨が少なくとも畿内においてはやや珍しくなっていた時期であるらしく、その後さらに入墨の風習は衰えたようです。ですので、男性は身分の上下にかかわらず皆入墨をしていたとある魏志倭人伝に出てくる3世紀中ごろの「倭国」よりは後の時代である可能性が高いと考えられます。
2)自然地形を利用した円墳が作られていた時代である。
(古事記に記された陵墓のタイプから)
古墳タイプの変遷はひとつの基準になるのではないかと思われます。もちろんこれだけでは古墳の信頼できる築造年代データがそろっていない現状では、年代の絶対値を直接求めることはできません。ただし、魏志倭人伝の記述から卑弥呼の墓が円墳であったとすると、神武天皇は卑弥呼の時代よりも後である可能性が高いと思われます。
3)現在よりも海水面が高く、「河内の津(東大阪市東部)」が海に面していた時代である。
(記紀の神武天皇の遠征記事から)
気候は3世紀中ごろまでは温暖で、その後3世紀末に向かって寒冷化しました。海水面の高さは気候の影響を受ける(寒くなると海岸線が後退し陸が広がる)ため、神武天皇の東征は遅くとも4世紀初頭であると推測されます。
4)銅鐸文化滅亡以降ではないか。
記紀や大和朝廷は銅鐸について全くの無知である。そのため、素直な解釈としては、銅鐸文化が滅亡してしまってから神武天皇がやってきたとするストーリーが考えられる。もっとも年代の絶対値は銅鐸の埋設年代の絶対値が分からない限りは分かりません。
以上から考えれば、年代の絶対値を直接求めることはできないものの、推定される年代の範囲はそれほど広くない範囲に決まってくるのではないかと考えています。
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