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2014年2月16日 (日)

邪馬台国東遷説はあり得るか?

 北九州に存在していた邪馬台国が大和を征服してそちらに拠点を移し、それが大和朝廷になったという、邪馬台国東遷説という説があります。安本美典氏などが唱えている説です。この東遷は神武東征として、記紀に書かれていると主張します。
 根拠としては北九州と大和の地名の類似やその時代に絹などの文物が
東伝していること、弥生時代には北九州で主に出土している鏡、鉄剣などがある時期から急激に畿内で出土するようになったことなどをあげています。もちろん「邪馬台」と「大和」の発音がにているということもあります。そして記紀においては日本国内のいろいろな地域を支配下におさめていった記録が記述されていますが、北九州を征服する話はないため、はじめから大和朝廷の領域であったと推測することが出来ます。

 それに対して、八幡和郎氏のように北九州を征服したという直接の記述こそないものの、初期の大和朝廷が北九州を領有していたことを示す記述のやはりないため、大和朝廷が北九州をその領域としたのは仲哀天皇あたりの時代であり、
邪馬台国東遷説は成り立たないとの主張もあります。

 たしかに、崇神天皇以前の皇室の支配領域と思われる地域が大和盆地の一部にとどまっているという狭さから考えると、北九州を直接支配していたとは考えにくいものがあります。
 ただし、邪馬台国にしても、北九州を直轄支配していたというよりも、小国家連合の盟主というイメージと思われますので、同様に
葛城地方の皇室と北九州国家群は同盟関係にあったと想像することも出来ますし、畿内に北九州国家群と同盟関係にあった国が他にも有ったと考えればさほど不自然では有りません。もちろん可能性の一つにすぎませんが、邪馬台国東遷説が100%あり得ないと言い切れるような可能性の低いものではなく、なお十分に現実的な魅力ある説であると考えています。


 

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