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2013年9月11日 (水)

物事の探求(日本古代史を例に)

 建国記念の日という祝日があります。祝日法第2条には、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定されています。日付は初代神武天皇の即位した日が日本書紀の記述で紀元前660年1月1日となっておりこの日を新暦に換算すると2月11日になることに由来しています。紀元前660年の1月1日という年月日が正しいはずがありませんが、きっかけとして作られた記念日であり、お祝いする日である思います。日付の根拠が怪しいから駄目だというならクリスマスにも反対すべきです。イエスの誕生は紀元元年ではなく、紀元前4年ごろと考えられていますし、12月25日はもともと別のお祭りの日でした。

 

 

 初代の神武天皇やその跡を継いだ初期の天皇は年代換算によると非常に古い年代になることや非常に長い寿命などから記紀の記述はまったく信用できず、皇室の歴史を古く見せるための架空の存在であり実在しなかったというの考えが定説になっていました。記紀の記述(一部を除く)が絶対視された戦中に対する反動で、戦後、記紀のいろいろな記述を疑う考え方が大流行したためです。冷静に見直すと、実在しなかったとする根拠は薄弱であることがわかってきているようですが、初期の天皇についての言及はあまり流行していないらしく、実在の天皇は祟神または応神あたりからというのが定説扱いのままになっているように思います。 

 

 では、初代の天皇が政権を築いたのはいつごろでしょうか。それを推測するのはあまり難しいことではなく、中学校程度の日本史の知識と少しの勉強でできます。ただし、古墳の年代を調べるには年代の精度について少し知識が必要で、邪馬台国畿内説との関連で発表される3世紀中ごろといった古い年代は木片の炭素14法(木が死んだ年代を示す、また10年単位の精度はない)によるものなど古墳の築造年代を直接示さないものがあり、注意が必要です。また、次の記事で述べますが、西暦300年前後の年代については、測定年代と歴年代を対比する較正曲線の問題があって、一意に年代が決定しないという問題があるため、それだけでは信用できるものではありません。

 

 大和朝廷の成立した位置といえば畿内以外にありません。3世紀末~4世紀は畿内に古墳が急増し、その他の埋蔵文化財も急増し、出土するものの種類も変化した時代です。したがって、3世紀末に畿内に新政権が誕生したことに間違いありません。

 

 その後、好太王の碑によれば西暦400年ごろには倭が朝鮮半島に進出し、高句麗と戦争を行っています。また新羅本紀には西暦393年に倭が金城を包囲したと書かれています。状況から言って、倭は大和朝廷と考えられ(異説あり)、このころには国内の主要部分を統一し安定した政権になっていたと考えると最も素直に理解できます。古墳は初期には自然の地形を利用した小規模なものが多く、形状もさまざまでしたが、5世紀になると古墳も大きな盛土と堀からなる大型の前方後円墳になっていきます。

 

 

 このような基本的な歴史の流れと記紀を比較すると、

 

 

1.神武天皇が畿内に領地を獲得して新政権を樹立
2.神武天皇~第7代孝霊天皇が自然の地形を利用した山形や円丘の古墳に葬られる。
3.第8代孝元天皇が自然地形を利用した前方後円墳に葬られる。
4.第9代開化天皇が自然地形を利用した掘付きの前方後円墳に葬られる。以降、当分の間掘付きの前方後円墳が続く。
5.第10代祟神天皇が四道将軍を派遣し畿内周辺の地方を平定する。
6.第12代景行天皇の時代にヤマトタケルが熊襲、出雲、東海、関東に遠征する。
7.第14代仲哀天皇崩御の後、神功皇后が政治を執り、朝鮮半島に遠征する。
8.第15代応神天皇、第16代仁徳天皇が平地に盛土して築造した大型の前方後円墳に葬られる。

 

 

という流れになっており、基本的な考古学的事実や外国の記録と一致しています。古墳についての項目がたくさんあります。古墳の記述について重要なことは宮内庁が採用している古墳と被埋葬者の比定について云々したりすることではなくて、時代ごとの古墳の変遷と記紀の記述が一致していることです。

 

 

 畿内の新たな文化を持った新政権が成立したのは3世紀末と思われますが、記紀によれば畿内いはニギハヤヒの政権が先行して存在したと記しており、ニギハヤヒは先に天下りしたとあることから同一文化と思われるので、神武天皇の即位は少し遅れて西暦300年頃と考えることができます。寿命の短い時代のことであり、さらにできたばかりで政権が不安定だったとすると100年間に14人の天皇がいたとしても特に多いというわけではありません。もちろん一部の天皇が存在しなかったという直接の証拠はありませんので、全員実在したと思うのが自然です。

 

 日本書紀は中国の歴史書の体裁を真似て(「一書曰・・」などとあるのは注のついた三国志の影響だと思います)記事に年代がついていますが、あるところから前は当時存在しなかった暦が用いられています。暦のない時代だった可能性があります。年齢の数え方も違っていた可能性があります。そういった信頼性の無い年代のような情報はあまり参考にせず、一方で内容はおおむね合っていそうなのですから、記事内容から歴史を読み解く努力をするのが正しい姿勢だと思います。

 

 間違いだらけのプロケーブルにも良い情報が沢山ありました。どこかが違っているからといって全部を無視しては折角の情報を取り逃がすことになります。まず、事実を良く見て、確実に正しいことを抽出し、そこからわかることを積み上げていくことが大切だと考えています。


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コメント

こんにちは。

分かりやすくまとめていますね、関心いたしました。(^^)安本美典氏は天照を卑弥呼に推定し、5代
あとの神武を3世紀後半の人物と推定しています。私も以前はそう考えていたのですが、最近少し気持ちが揺らいできていて、ひょっとしたら神武は卑弥呼より前の人物では?と思うこともあります。

たくまさん コメントありがとうございます。

安本美典氏の年代推定はロジックとしては通っているのですが、誤差がかなり大きいため、それだけでは決定的とはいえませんね。他の氏族の代数も合わせて追跡してみると、より確からしくなるかも知れません。

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