昭和の竪穴式住居?
北陸の寒村にあった僕の集落には、竪穴式住居があった。登呂の遺跡や古墳発掘現場に、観光用に建てられている藁葺きの屋根のみの建物。僕の集落では、土間で火を焚きながら不都合なく暮らしていた。まーいうなら、僕は幼い時期は縄文時代を生きたといえるのです。誰も信じないのはよく分りますが、事実です。
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昭和のはじめまで、竪穴式住居があったとかかれています。書き振りを見ると、本当に登呂遺跡に復元されているようなやつのようです。筆者のツイッターによると昭和20年代の石川県生まれとありますので、この竪穴式住居は戦後まで残っていたようです。
竪穴式住居といえば縄文時代や弥生時代の住居というイメージですが、平安時代くらいまでは地方の庶民が一般的に住んでいた、ですとか、東北では室町時代まで作られていたなんて話を見かけます。地方ではかなり長く残っていたことがわかっているようです。建築大辞典には少数ながら江戸時代初期まで存在したと書かれているようです。この戦後まであったという住居は最末期まで残った竪穴式住居だったのでしょう。
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